人間らしく生きる。

相変わらず不定期更新ですが、自分のずぼらな性格を考えたら、まだ継続しているだけでも驚きです。
これまで力んで燃え尽きて真っ白になるor達成できなくて自己嫌悪に陥りそれっきりの2パターンばっかりだったのになあ。
そんな自分がなんだかんだで継続できている原因を考えてみたんですが、


A.メモが習慣づいてきた
B.表現・コミュニケーション自体が楽しくなった
C.毎日なんらかの発見や刺激がある


ってことが順番に進行したせいかなーと思います。
まず、A.のメモが習慣付いてきたってのがデカイです。

メモテク―できる営業マンのための ちょっとしたことを書きとめておく技術

メモテク―できる営業マンのための ちょっとしたことを書きとめておく技術

この本は一応営業向けに書かれていますが、内容を読んでいくと、「何をするにしてもメモをしたほうが生産性が上がる」ってことに気づかされます。
頭のいい人は自分の頭の中で情報を整理し、記憶し、優先順位をつけて行動していくという作業ができるのかもしれませんが、頭の働きが鈍い自分はメモを使わないと無理でした。頭の回転が遅い人ほど、メモというツールの効用はデカイことをこの本で再確認したので、使わない手はないと思い、そのとき思いついたこと、聴いたこと、頭の中で考えていることやこれからすべきことをメモし始めました。
最初はグーグルメモで気になった文章をクリップして感想をつけていたんですが、そうするといままでdotsだった個々の知識や思想が徐々につながっていく感覚を覚え、日常生活をしている最中にもさまざまな考えが巡るようになり、自分の思考を記録に残しておきたい、何か成果につなげたい、と思うようになりました。


そうすると、Bのように表現すること・コミュニケーションについての考え方も変わり、積極的に人と知識や思考の共有を行うようになって、それは新たな視点の導入も相まってCに繋がっていきます。


なんというか、人間らしく生きるってこういうことなのか、と今更分かったような感覚です。人間は他の動物と違って、言葉や文化や教育を通じて知恵を蓄積していくことができますが、それは社会的な作業だけではなく、個人的な作業としてもそれまで獲得した知恵を記録し、蓄積し、新たな知恵を創造するという営みを行っていくことも含んでいます。
これまで自分は、個人的な知恵の蓄積を上手く生かすことができず、たまたま出合った知恵を吸収・消費していくだけでしたが、最近はようやくその時期を越えて、知恵を結びつけてより高次の知恵を創造するシステムが構築できつつあるのを感じます。この充実感は、なにものにも代えられません。


・・・という偉そうなことを書いてみましたが、やっぱりまだまだ勉強が足りないですw
読書量も、経験も足りません。ようやくスタート地点に立った、というところでしょうか。
これまでの遅れを取り戻すためにも、この四月からは精力的に様々な活動をしていきたいと思います。
まずは自分の専門分野と仕事に繋がる活動、そして文化活動の三本柱をしっかりとしたものにしていこう!
という新学期の所信表明で今日のエントリは締めましょうかね。


新しい仕事や最近の出来事についてはまたそのうち。
ではでは。

企業ギャラリーに行ってみた。

昨日はINAXの銀座ショールームINAX:GINZA』とフジフイルムの六本木ショールーム『FIJIFILM SQUARE』に行ってきました。


http://inaxginza.info/index.html

http://fujifilmsquare.jp/index.html


まずINAX

チェコキュビズム建築とデザイン 1911-1925 -ホホル、ゴチャール、ヤナーク-
Czech Cubist Architecture and Design 1911-1925 –Chochol, Gocar, Janak-

ピカソ、ブラックが中心となって起こった20世紀初めの美術運動キュビズムチェコでは世界で唯一、建築に応用され、プラハを中心とした各地に斬新で奇抜なキュビズム建築が誕生しました。その担い手は、当時の近代合理主義に反発を覚えた30歳前後の若き建築家たちでした。今展では誕生からおよそ一世紀の経過を間近にした今、ヨゼフ・ホホル、ヨゼフ・ゴチャール、パヴェル・ヤナークの3名による建築を中心に、チェコキュビズムデザインを歴史上の希少な遺産として紹介します。
http://www.inax.co.jp/gallery/exhibition/detail/d_001363.html


という展覧会を無料でやっていたので、就活の用事ついでに行ってみました。
写真やビデオでキュビズム建築について紹介してあって、調度品や食器は実物が展示してあります。
キュビズム建築はいかにもな幾何学図形が強調されて無機的な印象を与えるので、あまり好きではなかったんですが、よくよく見てみるとソリッドさの中に人間の温かみがほんの少し滲み出たりして、意外といいものかもしれないな、と思えるようになりました。立体的な膨らみを与える構造は、直線的なのにどことなく温かみを感じますね。
やっぱり住みたいとは思いませんでしたが笑


ショールームのほうも楽しい。
最新のバス・トイレ・キッチン・水栓金具などを見て、ささやかな進歩に触れて嬉しくなります。特にトイレのハイテクっぷりには驚かされますね。今のトイレは音楽プレーヤーも搭載できるそうな笑 展示用でない実際に使えるトイレも最新機種が置いてあるので、実際の使用環境で体感できます。いいなーこういうの。体感しないとわからないことはたくさんありますからね。
こういう生活環境を作る企業が協力して、一つの洗練された新しい生活空間を提示するイベントとかってないんですかね?最新の製品を持ち寄って、デザインやカラーも調和させて、理想の生活空間を実際に作ってみる。そこで様々なタイプの家族に生活してもらって満足度を確かめ、さらなる商品開発に繋げる。
未来が見えづらい時代だからこそ、こういうイベントを開催してもっと未来をビジュアライズして希望を作っていくことが大事だと思います。もうあるのかな。なければ自分が作ってみたいですね。メーカー志望なので。


あー、髪切りの予約時間になってしまったので今日はこの辺ですいません。
時間があったら明日続きを書きます。

人間のクズ / 忌野清志郎

前回あんなエントリを書いたのにこのザマです笑


有言実行を守らないことに抵抗が無くなっている、ということでしょうね。これはマズイ。
先日仲間内で音楽を演奏する機会があって、非常に盛り上がって楽しかったのですが、そこでも自分の多くの欠点(=大事なこと)に気付かされました。


まずは


人に意見を仰ぐことを避けていたこと。


自分の演奏のどこに悪い点があってどこを改善したらよいか、というのは自分では分かりにくいことが多いです。自分の演奏を録音して客観的に聴く練習もしますが、やはり他者からの評価のほうが客観性が高く、自分では気付けない点への指摘が多いので、他者の意見は貴重です。これまで、変なプライドやら一時的な恥ずかしさに負けて人に意見を仰がずに自分でなんとかしようという考えで練習していました。「自分のことは自分が一番分かる」というよくある勘違いもしていました。
今回の演奏会では、積極的に自分の演奏の欠点を人に聞けるようになったので少し成長できた気がします。それをこれからの練習に活かせれば本当の成長になるはずです。


それと


積極的なコミュニケーションを最近していないこと


にも気付きました。顔見知りとばかり話をしていて、世界が小さくなっていた。以前は積極的にイベントに参加し、いろんなメンバーと話をしていたはずなんですが、昨日は久しぶりに話す先輩や後輩に話しかける軽い話題も出てこないくらいでした。寝不足で頭の回転が鈍っていたこともあるかもしれませんが、ちょっと重症です。
最近一人でやる作業が多くて引きこもりがちだったので、意識的に外に出て人に会ってコミュニケーションをしていかないといけませんね。


あと就活の影響で


思考が真面目っぽく、つまんなくなってきていること


も気になるところです。要するにいろんなことにビビって思考に柔軟性がなくなってきているのかな。
間違ったことは言えないぞ、っていうプレッシャーがあるようです。
一旦肩の力を抜かないと、これからの面接ラッシュ全滅もありえそうだから怖い笑



はー、久しぶりにヘコんだので今回は反省日記です。
タイトルは「人間のクズ」ですが、そんなクズでも上を向いて歩いていきたいと思います。


ではでは。

習慣と環境について

少しでもいいから、毎日続けていくことは大切ですね。
最近ブログを書いていなかったので、改めて感じました。


どんなことも習慣になってしまえば、苦ではなくなります。
そして少しずつ続けていくことによって、「普通」のレベルが向上する。
最初はヘタクソでも、毎日継続すれば絵は上手くなるし、文章も綺麗になるし、声も出るようになる。
質の向上に加えて、作業スピードが早くなるのも大きいメリットだと思います。
こなせばこなすほど苦がだんだんと消えていき、自分の思うように身体を操作できるようになり、他のことに使える時間も増えていく。
基礎的なスキルほどその効果は高いように思います。


習慣の力を生かせてないなあ、と感じることが多い今日この頃だったので、こんな漠然としたエントリです(笑)。




あと最近、とあるブログで紹介されていた
原研哉 阿部雅世『なぜデザインなのか。』

なぜデザインなのか。

なぜデザインなのか。

という本を読んでいるんですが、これはいい本。
読んでる最中にいろんなアイディアが浮かんできて、自分の生活とリンクしていきます。
自分には「自分の生活をデザインする」という視点が欠けていたので、「生活の道具に自分の思考が規定されている」ことを意識しながら、普段の生活そして生き方について考え直していきたいと思います。


生活環境も、習慣と同じくらい強力なものです。
例えば、自分の部屋は最近まで机がなかったんですが、折りたたみの机を買ったことによってパソコンや勉強に費やす時間が増えました。
椅子が座ることをアフォードするように、机が勉強することをアフォードしているんですね。
アフォーダンスについては以下のサイトで説明されています。
http://usability.novas.co.jp/glossary_01.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nitti/kaken/3/affodance.html


いままでアフォーダンスというものも意識していなかったので、「机なんてなくてもコタツで勉強できる!」という精神論でやってきていたんですが、そうした勉強の成果は・・・ご想像にお任せします(笑)
もっと早くから机を買っておくべきだったなあ、と物の持つアフォーダンスの力に驚かされました。
自分が働きやすい・勉強しやすい・生活しやすい環境をデザインしていくことはあらゆる人間がしていくことなのに、デザインについて勉強する機会が義務教育で行われないのはなぜなんでしょうね?
デザインに求められる能力は、思考をアウトプットする能力やそれを正しく伝えるコミュニケーション能力、そして物が使われる場面を想像する想像力など、社会生活を営む上で大事な能力ばかりですし、これらを幼少の頃から鍛えられた子供とそうでない子供の能力差・生産性の差は大きいと思うんですが。
うーん、謎です。


もっとデザインを大事にしていかないといけないな、ということをこの本に考えさせられたわけですが、それ以外にもいろいろ思ったことがあるのでまた後日。
よし、なるべく毎日書こう。

Step Into My Office, Baby / Belle & Sebastian

就活系の用事で一日の大半がつぶれる灰色生活に飽きたので、昨日は「おくりびと」を見てきました。
だいぶいまさらですが。
http://www.okuribito.jp/



とってもよかったです。



音の優しさが心地好い。



チェロの音、
水の流れる音、
衣が擦れる音、
床が軋む音、


そして生物が発する全ての音。



他の観客が鼻をすする音や咳の音までもが愛おしく感じられ、
劇場を出た後も、世界が瑞々しく感じられました。


「生」を描く上で「食」にスポットが当てられていますが、その土台として物の材質(触覚)・音(聴覚)など、五感を強く意識させる作りになっているので見ていて感覚的に心地よかったです。


記号も比較的分かりやすい。
でも想像の余地を残す役者の演技は、さすがベテラン。
山崎努萌え〜。


「ケガレ」として遠ざけられる死を、私たちの親しみやすい形に“化粧”して私たちの身近に引き寄せるモノ、という意味では、この映画自体も“おくりびと”と言えそうです。
私たちはこの映画を見たあと、普段意識しない生と死が生々しく存在する世界へと「おくり」出されることになる、という意味まで考えると深読みかな。
生の実感を忘れがちだった自分には味わい深い映画でした。
観客は9割方高齢の方だったけど、灰色生活を送る大学生にもオススメ。


そりゃアカデミーで賞も取るわ。
そのあと新宿駅のベルクで昼飯を食べたんですが、肉が旨いんだな〜。
困ったことに。

http://berg.jp/



おくりびともベルクも、ごちそうさまでした。



明日使うプレゼン資料とESがまだ白紙なので、そろそろ灰色生活に戻らねば。。
そういえば最近、


●定番のビジネス書・啓発本は読んでおく
 (社会で何を求められているかが分かる)
●普段から自分の好き嫌いを分析しておく。なぜ?どういう部分が好き・嫌いなのか?
  (他人に説明できるかたちに。それが仕事を選ぶのにも志望動機を説明するのにもつながる)
●ブログでもミクシでもなんでもいいから、思考を他人に見せる訓練をしておく
 (どんなに良い考えを持っていても、人に説明できないなら持っていないのと同じ)


とかを前からやっとけばよかったなーってのをよく思います。
選考が進むにつれてもっと身に積まされることになっていくと思いますが。。
いままで全然やってこなかったから、いざ就活になってだいぶ苦労してます。
でもこれらをやると思考が整理されて、無駄に悩むことが減りました。
思索の効率が上がり、生産性(アウトプットのスピード・量)もだいぶ向上したなあ、という感覚があります。
このままいくとどうなるのか、我が事ながら楽しみです。
それがこのブログタイトルに繋がるんですけどね。
果たしてどんな場所へ行くのか、このブログを使って見届けていきたいと思います。


さて、今度こそ“Step Into My Office, Baby”と言われるようなESを書く作業に戻りましょうか。
ではでは。

下ネタPVですが、これも“生の実感”ってことで。

僕の知らないうちに世界は未来へ

jakenao2009-02-22


http://www.pilot.co.jp/campaign/frixion/


ボールペンで自由に書いたり消したりできる世界になっていたらしい。


http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0809/24/news100.html


そして今年は3Dデジカメが製品化されるとか。


うっひゃー。
世界は地道に未来へと進んでいますな。
国立新美術館で開催されていた文化庁メディア芸術祭でも、球体映像出入力システムとか見てもう未来を実感しちゃったし(右上の写真参照)、ディスプレイなしの空間ホログラフィ(スターウォーズR2-D2レイア姫のメッセージを映してたやつ)も完成してるってビデオで紹介されていた。


http://www.media.jst.go.jp/research_result/sentan09/leaflet.pdf


未来に乗り遅れるのはもったいない。
まずはボールペンから試してみようかな。

視点の広げ方とブログの価値

http://interviewwith.blog44.fc2.com/blog-entry-42.html#more

ゆすら
漫画を毎年1000冊以上買ってる人のレビューって、
基本的に一般の人の参考にはならないです。
犬さんは漫画好きじゃないって言ってるけどw
伊集院光もラーメンの例で言ってたけど、漫画を毎年1000冊以上買ってる人って、
もう一般人と感覚がまったく違う漫画好きじゃないですか。



違いますね。
面白いのハードルが違うんですよね。


ゆすら
まったく違いますね。
漫画オタクは、とりあえずあらゆるものを網羅しようとするし、
ある程度のものを楽しめる感覚を持ってるけど
普通の人は、たとえそれが名作だろうが売れてようが、好みじゃなきゃ買わない。
だから、「サイト○○が絶賛する漫画は面白くない」
とかいうユーザーの発言が出てくるんだと思います。
さっきの、「レビューサイトは絶賛ばかりで、『つまらない』を書こうとしない」って話とも通じますね。



確かに、マンガブロガーは好みがあんまないんですよね。
少なくとも、普通の人ほど好き嫌いないですね。


ゆすら
そう、好みがない!
いや、あるんだろうけど、好みじゃなくても楽しめるグローバルな感覚を持っているw
それが、普通の人にはあまりわからないんだと思います。



LITさんやたまごまごさんなんて、
自らBLの領域に踏み込んで、理解できない自分の感性を調教してますからね。


ゆすら
普通だったら、腐女子キモイ、自重しろ。で終わるところを、
「楽しめないと損!」シンキングで、どんどん開拓していってますからね。



マンガに積極的なんですね。


ゆすら
そうなんです。積極的で、読み広めることすら楽しんでる。


太字部分は勝手に強調させてもらいました。
あれだけのレヴュー数をこなすのに必要な能力は、
1.どれだけ多様な価値観を認められるか
ってとこにあるのかなーと思う。あと
2.物事をパーツにわけて分析する視点
(漫画なら、テンポ・キャラ・絵・コマ割り・ストーリーとか。分析眼を鍛えていけばもっと細分化できるわけだけど)か。
新しい価値観に対して貪欲で、かつ分析的な目をもっていて作品の良い部分・悪い部分を見極められる。そうなれば、あとはよっぽどヒドイ作品でない限り、どんな作品にも良い部分を見つけて楽しむことができる。それがさらに新しい価値観・視点を身につけることにもつながる。
これは楽しく生きる上でもあったほうがいい能力かも。人に対しても日常の雑事に対しても、この能力は使えるはず。人生を楽しむ能力・考え方についてはのちのちまとめてみたい。


もう一つ思ったのは、先人の話が面白いor参考になるのって、自分の持っていない着眼点・視点を提示してくれるからだよなーってこと。同様に若年者・初心者に価値があるのも、自分の忘れていた視点を思い出させてくれたり、余計な知識がないからこそ見える斬新な発想があったりするからでしょうな。とりあえず他者っていうのは自分と違う価値観や視点を持っているだけで非常に価値のあるものなんだというのを再確認。
それを吸収するためにコミュニケーション能力も大事なんだよね、って話にもつながる。


なんか当たり前のことを再確認してばっかですが、いまの時期はそういう時期なんでしょう。
当たり前のことをちゃんとアウトプットできるか、ってのも面接で試されるし。


はぁ〜やっぱりこんなぬるい書き方のが自分に合ってる気がする。
Googleノートブックに書いても見返すことが少ないから、やっぱりブログに書こう。
人が読んで理解できるように加工しないといけないから面倒ではあるけど、知識や思考をいつでも人に見せることができるようにしておく訓練として、ブログは最適だと思う。
人と話をすることで知識を定着しろ!って昔のハウツー本には書いてあったけど、実際にそれをやったらウザイ人になっちゃし、ブログでそれをやる(=ブログに書くことで知識を定着させる)のが現実的で効率がよさげ。
コメントやトラバがつくようになれば、いろんな人が知識を補完してくれるし。


うん、これが今日感じたことで一番大事だ。

ではでは今日はこのへんで。